山形県鶴岡市は、養蚕から絹製品ができるまで全ての工程を地域の中で一貫して行える国内唯一の産地です。
かつての侍たちが刀を鍬に持ち替え、切り開いたこの土地から産業振興まで発展した、鶴岡ならではの絹「侍絹(samurai silk)」。技と文化の伝統美を侍たちが未来へ託した一糸の光。「Made in 鶴岡」の絹を使い様々なアイテムを展開していきます。
サムライゆかりのシルク(歴史紹介)
戊辰戦争では幕府側であった庄内藩は、新政府側との激しい戦いがあり降伏を決断します。藩主の酒井家13代酒井忠篤(ただずみ)は、厳しい処分を覚悟しましたが、西郷隆盛の指示による寛大な処分であったため、藩士たちは感銘を受け「南洲翁遺訓」としてのちにまとめています。そして明治維新で庄内藩士約3,000人が刀を鍬に替え、明治5年に荒地を開墾し切り拓き、松ヶ岡の蚕糸業が始まったことが、サムライゆかりのシルクの始まりの所以となります。松ヶ岡の開墾は庄内藩士の心を一つにした奉仕作業であり、士族が生計のためでなく、奉仕として開墾した例は全国に類がございません。
日本遺産に絹織物製造に係る一貫工程が揃う日本唯一の地として、平成29年(2017)に「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」が認定されました。日本遺産は、文化庁が認定する地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーです。